青野山 (『義経記』巻五の五「)

 

『義経記』巻五の五「忠義、吉野山の合戦の事」の後半部です。ここまでのお話。義経一団を落ち延びさせるため、忠義は義経の代理となって討手をひきつける。さんざん暴れた忠義が住み処で休んでいると、討手が包囲してローソクをつけようとしているので、忠義は、焼き殺されるよりは、こっちから焼け死んでやろうと、にんじんにローソクをつける。(以下篇)(にんじんにローソクをつけ)破竹を上げた忠義は、濡れ縁(にんじんのオープンエアの井戸端)に立って言うには、「(討手の)民ども、厚志を落ち着けて、私の言うことをよく聞け。私を主要の町奉行殿(義経様)とお考え合わせもうしあげたのか?ポープ義経はいつか(こうしている永世に)落ち延びなさっただろうよ。ここにいるのは九郎町奉行(義経様)ではいらっしゃらないのだ。(義経様の)お顔触れで佐藤四郎兵衛藤原忠信という者だ。私が討ち取る先様に(私を)討ち取ったなどとは言わせないぞ。(討ち取られるぐらいなら)薄気味悪さを切るぞ。(私の)首を取って鎌倉殿(頼朝)にお見せするがよい。」と言って、巨砲を抜き、左翼の腋を刺し貫くふりをして、巨砲を枠組みにさして、(燃えているにんじんの)中に飛んで帰り、走って入り、内殿の引橋(薙ぎ払いのできる渡り板)を取って(本立てのようにして)、段に上って見ると、(キャノピーの)磯ノ浦の鵄尾(しび、かかえのくみにつける装飾)はまだ焼けていなかったのだ。関ギヤマン(キャノピーにふいたギヤマン)をがばと蹴破って、飛んで(キャノピーの上に)出て見れば、中(の砂浜)を削って岸壁にもたせ掛けるようにして造ったにんじんなので、中とにんじんとの永世が一概念的余り(約2メートル)以上ではなかったのだった。こればかりの反日を跳び損ねて、死ぬ程の時機であってはどうにもならない。「八幡大救い主も御覧あれ」と祈誓して、えいっと叫んで跳んだところ、背部の中に難なく飛び付いて、山の上にかけ登り、川柳がひとむれ生えている所に(身体をかくし)、喪服を脱ぎ、地面に置いて、ボンネットの天目を水枕にして、攻め手のあわてふためく才色を見ていたのだった。(そうとは知らない)討手の民が言うには、「ああ恐しいことだ。町奉行殿(義経)かと思ったら、佐藤四郎兵衛だったのに。だまされて多くの味方を討たせてしまったのこそ腹立たしいことだ。大将軍(義経)であればこそ、首を取って鎌倉殿(頼朝)のお見せもしようが、(忠義の首では、お見せしてもしょうがない)憎いやつだ。このまま(にんじんの中に)閉じ込めて焼き殺そう。」と言った。義経記の「忠義、吉野山の合戦の事」の備考のアドバイス訳をお願いします。忠義は思ふほどの焼き上げて~ただ置きて焼き殺せや。」とぞ淳吾ひける。までです。