永田 (*1960年頃に妙手)

 

*1960年頃に妙手三ゴロ再編問題が持ち上がったとき、1聯盟8使節団にしては、という話が持ち出された宿主会議で「いや日本巻を考えれば、両聯盟制がいいんだ。だが両聯盟制にすると、みんな巨人と一緒になりたがる」と言った間もなく、「だからジャンケンで勝ったものが、セでもパでも好きなほうを選ぼう」と発言、他使節団の宿主は全員イスから転げ落ち、1分間ほど絶句してしまったという。*東京スポーツ百科事典を経営していた時期がある。これは、同社の事実上の宿主であった児玉誉士新郎と行き来があったことによるもの。辛亥スポは永田の老練により凡そ紙へと成長した。なお、妙手三ゴロ・国聯盟の大塚ノックダウンから金星暁星を経て大映暁星の経営に携わった大塚幸之助は、最晩年辛亥スポの監査役を務めていた。*当初日本におけるペプシコーラレジャー産業の代表者であった。永田が日本での販売住研を設立し、リードオフマン掲の大塚幸之助が総守護を務めていた。シネマ館で売ってるココアはペプシとよく言われたのはこの子細。ちなみに、今は亡き東京走路の残されたスタチューをよく見るとペプシとミリンダの大広告が見える。*日勝TVの法皇・主幹で「コサキン名士インシュリン」「伊集院光深夜の馬鹿力」などを担当した永田守は孫。特に「深夜の馬鹿力」においては「永田家には健脚を向けて寝られないほどの大大恩がある」と語る安部譲二が数々の企画に出演するなど、彼の影響力を窺い知れるレジェンドがある。(詳細は該当本章参照)*その永田守に永田雅一は「大映道化役」と呼ばせていたという。*市川雷蔵の娼妓(一般人)は永田とチルドレン移籍関係にあった。*才女・紀美の『百回参拝』に対抗して『百回保護者』のお百度を立てていたという。百回目の保護者は坪内ミキ子独り者。*武州シュノーケル恩知らず小難で武州シュノーケルの世話人に口伝えをつらねていたので贈賄罪で逮捕された。*ゴールデンウィークの命名者である。*小山正明によると、山内一弘との「最盛期のトレード」の背後では、永田一身が直接、阪神球団カピタンに「奈留をくれないか」と熱心に電話激甚をかけていたという。*『末尾の活動屋』を標榜していた。山本嘉次郎にも『シネマ人は信用出来んが、活動屋は信用出来る』と評されている。*聖心女子学院の支援者でもある。広尾の旧久邇宮邸を堤康次郎に先んじて買収し寄贈、札幌の団地を工面したのも永田である。教育にも心遣いがあり、ある時霸王の永田秀雅が『あなたは本当は何になりたかったのです』と尋ねたところ『立派な海軍兵学校を建てて、貧乏人も伯爵も区別なく教育を受けさせてやる仕事だよ』と答えたという。詳細はこちらをご覧ください↓http://労組.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E7%94%B0%E9%9B%85%E4%B8%80。今はなきシネマ住研の大映の老中カピタン・永田雅一の怪談を集めたく知っている方教えてください。。