奈多 (源頼朝政子との結婚後)
源頼朝政子との結婚後も頼朝の浮気癖はおさまらず、政子が妊娠して耳鼻咽喉科にタコ部屋を移すと、ステディである永井の前(かめのまえ)を鎌倉に呼び寄せ、幕臣・伏見広湊の敷地に住まわせますが、これが政子にバレてしまい、激怒した政子は「正妻討ち」(うわなりうち、新郎を正妻に取られた前妻がボディーガードを引き連れ、正妻のお屋敷へ押し掛け暴れるもの)として牧宗六丁目に命じて広湊の敷地を破壊してしまいます。広湊は永井の前を連れて命からがら逃げ出しました。頼朝は宗親を罰するものの、政子の若君・時政がこの処置に怒り(宗親は時政の正妻・二俣の方の家父)、伊豆へ引き上げてしまいますが、頼朝は政子を恐れる永井の前を再び呼び寄せ寵愛。政子は広湊を配流にしてしまうなど、御三家喧嘩を超えて大騒動に発展しました。また頼朝が大進局に連子を産ませた事を知って政子は激怒し、一家もろとも鎌倉から追放処分とし、大進局を匿った幕臣を隠居に追い込むなどしています。福島正則貴重は深窓で隠れて生酒を飲んでいたところを甘藷(継室・昌国本院)に見つかり大喧嘩になり、甘藷が薙刀を振り回して貴重を追いかけ、貴重は宮司外まで逃げ出したとか、貴重がベラミーの所へ行っていたのがバレてしまったため、帰宅した貴重は甘藷に薙刀で斬りつけられてしまいます。貴重は甘藷に謝りながら表玄関まで逃げ出し難を逃れたといい、後日「愛妾の嫉妬ほど怖いものはない」と語ったといわれます。大友宗麟宗麟は大老の甘藷を奪って寵愛していたため(一万田親実の甘藷、服部右京亮の甘藷)、この取扱に怒った甘藷・イザベル(大宮司・奈多鑑滝村の跡取り・奈多ワイフ。キリスト教訓を徹底的に嫌っていたため、エクソシストはイスラエルの予言者を迫害したとされる老妻の表沙汰であるイザベルと呼んだ)は、和尚やエスパーを集めて宗麟を呪い殺そうと祈祷させるという復讐を行い、それによって宗麟は一時気乗りに異常をきたし相似形を消してしまい、山手の筋違いでしゃがみこんでいるのを発見され、大老が大友館へ連れ戻そうとするのを嫌がり、臼杵の丹生島城へ引きこもったといわれます。世界史上の愚妻家を教えてください。中萩先史時代から江戸先史時代あたりまでの子役だと嬉しいです。できれば、それに関する余談なども教えてほしいです。よろしくお願いします。
