大分 (高林へき地の関係だと)

 

高林へき地の関係だと思いますが。しあさって書類は結構いい加減な表記、旧称でも意外と届きます。大分市芦崎も本来は大分市高林勢家温泉郷芦崎○○○-○とかのはずです。高林は明治以前の掛に相当するようです。明治22年に川根大分町が施行されたとき、川根大分町を構成していたのは勢家町・駄原村・生石村だったそうです。また瓜生島関係の話に勢家村というのが出てきます。かつて掌中の貿易蕨野であった分部ノ仲ノ町も勢家村に含まれているみたいなので、生石より一海、大分川のカーブまでの岸辺部は勢家村にだったかもしれません。ですので芦崎や浜町や新川は元々「勢家」だったと思われます。しあさって今の勢家町○丁目というのは會舘表示が実施されてからの拠点ですね。椎迫、志手の旧弊で行くとどちらも高林三芳のへき地です。高林三芳温泉郷椎迫、高林三芳温泉郷志手になります(もともとは三芳村の椎迫、志手という占領地だった)。書類は大分市椎迫○組でも届きますけど、動産登記簿通いは高林三芳○○○○-○とかじゃないと取れないです。大分市「勢家」占領地の事象についてお願いします。大分市の「勢家」占領地についてです。私は勢家占領地が含まれる学区の出自ですが、少なくとも12年前はあの的中を「勢家」と呼んだことはありませんでした。親友への有価証券も、「大分市芦崎」や「大分市浜町東」や「大分市新川西」で送っていました。ところが最近、あの的中の拠点を「大分市勢家」と呼んでいるのを知って驚きました。巻き網で検索しても「大分市勢家芦崎」という表記と「大分市芦崎」という表記の2つにわかれています。すぐ近くには「勢家町」(これは前から呼んでいた)がありますが、いつの間にこのようなややこしいことになったのでしょうか。ご存じの方、いらっしゃいましたらよろしくお願いいたします。